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オスマン帝国統治下の社会 ~シパーヒー、イェニチェリ、カピチュレーションとオスマンの平和~
著作名: エンリケ航海王子
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拡大を支えたオスマン帝国軍人

オスマン帝国は、領土を拡大し続けたため、トルコ人以外の多様な民族が帝国の領民となります。

帝国の拡大を支えたトルコ系軍人を、シパーヒーといいます。

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(シパーヒー)

彼らは軍役の報酬として、オスマン帝国からティマールという封土を与えられ、彼らはその土地からの徴税権を持っていました。

これらシパーヒーと共に、オスマン帝国軍の主力軍となっていったのがイェニチェリです。

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(イェニチェリ)

帝国では、領民から強制的に軍人や役人を徴用するデウシルメという制度がありました。イェニチェリとは、「あたらしい兵士」という意味で、オスマン帝国が領土を拡大していった際に、このデウシルメで領内のキリスト教徒の子弟を集めイスラム教徒に改宗させ、厳しい軍事訓練を施し、スルタン直属の常備歩兵軍団となりました。

イェニチェリは奴隷身分でしたが、中には能力を発揮し、帝国の宰相や軍団長に上り詰める人物もいたと言われています。

征服地は直轄領と間接統治領に分けられ、細かく郡や県に分けられ、各地の法制度や行政制度はイスラム法のシャリーアによって定められました。

オスマン帝国による支配

オスマン帝国は、広大な地域を領土にしましたが、その統治下はどのような社会だったのでしょう。

オスマン帝国は、新たに征服した地域の住民を、支配層と被支配層という2つに分けました。

支配層は、官僚や軍人で、臣民と言われる被支配層は商人・農民・職人などでした。

オスマン帝国は、宗教の異なる領民を統治する方法として、ミッレトと言われる共同体をつくります。

これは、非イスラーム教徒の人々の共同体のことで、信仰の自由や慣習・社会制度を認める代わりに、貢納の義務を課すというものです。

オスマン帝国では、過去のイスラム国家が行なってきた以上に他宗教に対して寛容でした。

帝国の各地には、様々な都市が作られ、各地にはイスラム社会制度に基づく公共施設が次々と建設されました。また、非イスラーム教徒にも寛容な政策を行なっていたことから、異なる宗教の人々が同じ都市で生活を共にしていました。

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