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オスマン帝国の歴史 ② ~スレイマン1世とウィーン包囲~
著作名: エンリケ航海王子
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セリム1世の時代

ビザンツ帝国を滅ぼし、その領土をすべて支配したオスマン帝国は、第9代スルタンのセリム1世(在位1512~1520)の治世に、さらなる発展を遂げます。

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(セリム1世)

彼は同じイスラム教のサファヴィー朝を1514年に撃破し、3年後の1517年には、エジプトのカイロを攻略し、マムルーク朝を滅ぼしました。

この結果、オスマン帝国はシリア・エジプト・ヒジャーズといったイスラム教徒にとって重要な地域を支配することになり、さらにセリム1世は聖地メッカメディナの保護者となります。

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(聖地メッカ)

このマムルーク朝を滅ぼした際に、セリム1世が始めたのがスルタン=カリフ制です。

カリフは「宗教的権威」、スルタンは「世俗的権力」を持っており、イスラム世界で宗教上と世俗の権力者は長い間それぞれ分立していました。

マムルーク朝にはアッバース朝のカリフが亡命していたため、オスマン帝国によるマムルーク朝の撃破で、セリム1世がカリフの地位を奪い、スルタン=カリフ制が成立したとされています。ただし、最近の研究ではこの制度が成立したのはもっと後世になってからという説もありますので注意しましょう。

このように、以後オスマン帝国では宗教権威と世俗権力を一人の皇帝が握るようになります。

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