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【室町文化、南北朝文化、北山文化、東山文化、新仏教の発展】 受験日本史まとめ 32
著作名: Cogito
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室町文化とは

室町時代には、室町幕府の保護によって進出した禅宗の影響を受けた武家文化が成立しました。足利義満によって日明貿易が活発化すると、大陸文化と日本の伝統文化、中央文化と地方文化、貴族文化と庶民文化がそれぞれ融合し、独自の文化が花開きました。

室町文化は、若々しい南北朝文化、文化融合が進んだ壮麗な北山文化、枯淡美に芸術性を見出した東山文化にわかれます。特に、北山文化・東山文化は、室町文化の核となりました。

南北朝文化

南北朝時代は、戦乱や皇統が2つに分かれるなどの世相を背景に、歴史書や軍記物語が書かれました。

『増鏡』
源平争乱から建武までの約150年間の歴史を公家の立場から記した歴史書。

『神皇正統記』
伊勢神道の理論を背景に、神代から後村上天皇即位までの歴史を記し、南朝の皇位正当性を説いた。著者は北畠親房。

『梅松論』
持明院統・大覚寺統両統の分裂から足利政権確立までを記した歴史書。

『太平記』
後醍醐天皇の討幕計画、鎌倉幕府滅亡、建武の新政、南北朝の動乱、管領細川頼之が幼少の足利義満を補佐するために讃岐から上洛するまでの50年間を描いた壮大な物語。講釈により人々の間に広まる。著者は法照寺の恵鎮上人(円観)や小島法師ら複数の僧侶。

『義経記』
源義経の生涯を描いた物語。

『曽我物語』
鎌倉時代初期の東国武士社会を題材にした物語。

『新葉和歌集』『李花集』
後醍醐天皇の皇子宗良親王による和歌集。南朝歌人の歌が集められた。

『新続古今和歌集』
6代将軍足利義教の発意で編纂された最後の勅撰和歌集。

『職原鈔』
日本の官職制度をまとめた書。著者は北畠親房。

『建武年中行事』
朝廷の年中行事についての解説書。著者は後醍醐天皇。

『河海抄』
源氏物語の注釈書。著者は四辻善成。

『菟玖波集』『応安新式』
二条良基による連歌の撰集と連歌の規則集。

これらの他にも、南北朝文化として猿楽・田楽から発達した能楽、喫茶の風習、闘茶なども登場しました。また、奇抜な衣装や唐物をつかったバサラ(婆娑羅)は畿内の新興武士か好みました。

仏教では、鎌倉時代に武家社会に広まった臨済宗に夢窓疎石(1275〜1351)がでて、足利尊氏のあつい帰依を受けました。夢窓疎石は元弘以来の死者を弔うための安国寺・利生塔と国ごとに建立することを足利尊氏・直義兄弟に勧め、後醍醐天皇を弔うために天竜寺を造営し、自らその開山となりました。こうして、臨済宗と夢窓疎石の宗派は室町幕府の保護を受け発展していきました。夢窓疎石は漢詩文の名手でもあり、作庭の分野でも西芳寺庭園や天竜寺庭園を残しました。水墨画の分野でも黙庵や可翁が活躍しました。

北山文化

室町幕府3代将軍の足利義満は、将軍にしてはじめて太政大臣にのぼりつめ、京都の北山に壮麗な北山山荘を作り、同地に金閣が建てられました。この金閣の建築様式は伝統的な寝殿造りや禅宗様などさまざまな文化を折衷しており、この時代の文化の特徴をよく表しています。そのため、この時代の文化を北山文化と呼びます。

金閣は、北山山荘の仏殿で、当初舎利殿と呼ばれ、1層が寝殿造り、2層が和様、3層が禅宗様で建てられ、西側には寝殿造りの特徴である釣殿風の建物が付属しています。足利義満の死後、北山山荘は義満の法号鹿苑院にちなみ鹿苑寺という禅宗寺院となり、金閣も鹿苑寺金閣と呼ばれるようになりました。

足利義満も祖父足利尊氏の天竜寺にならい相国寺を建立するなど、臨済宗を保護し、寺格の整備に努め、南宋の官寺の制にならって五山・十刹の制を確立しました。室町幕府は僧録をおいて官寺を管理し、住職を任命しました。こうして五山の禅寺を中心に、中国文化に影響を受けた新しい文化が発展しました。

『五百羅漢図』
仏教で供養尊敬を受けるに値する500人の人々を描いた水墨画。作者明兆。

『瓢鮎図』
室町幕府将軍足利義持の命により、ひょうたんでナマズを押さえるという禅の公案を描いた水墨画。妙心寺退蔵院蔵。作者如拙。

『寒山拾得図』『水色巒光図』
如拙の弟子、周文の作。

『五山文学』
絶海中津・義堂周信らによる漢詩文。

能(能楽)も北山文化を象徴するもので、興福寺を本所とする観世座(結崎座)・宝生座(外山座)・金春座(円満井座)・金剛座(坂戸座)は大和田楽四座と呼ばれ、観世座に出た観阿弥(清次,1333〜84)・世阿弥(元清,1363?〜1443?)父子は足利義満・義持らに保護され、猿楽能を完成させました。彼らは能の脚本を多く残し、世阿弥は『風姿花伝』『花鏡』などの理論書を著し、能の大成者となりました。世阿弥の子元能は『申楽談儀』を著し、当時の世阿弥の批評や能楽の歴史が納められています。

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