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第二次世界大戦の原因と終結(ポーランド侵攻、独ソ戦、太平洋戦争など) 受験対策問題 103
著作名: レキシントン
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第二次世界大戦の原因と終わりで押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

ナチス=ドイツの侵略

・1938年3月、ナチス=ドイツはヴェルサイユ条約・サン=ジェルマン条約で禁止されていたオーストリア併合を断行し、他方でチェコスロヴァキアとドイツの国境地帯ズデーテン地方の割譲を要求した。 こうした領土要求に対し、チェコスロヴァキアはイギリス・フランスとの協約を頼りに拒否したが、ヒトラーは戦争も辞さないという脅迫をチェコスロヴァキアに対し行った。

・1938年9月、ズデーテン問題に対してイギリスのネヴィル=チェンバレン、フランスのエドゥアール=ダラディエ、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーがミュンヘン会談を開いた。この会談には当事国のチェコスロヴァキアや隣国ソ連が招かれず、チェンバレンと追従したダラディエは、ヒトラーにこれ以降領土要求をしないという約束と引き換えに、ズデーテン地方割譲を認めた。このイギリス・フランスの外交を宥和政策といい、ドイツの無法な要求とチェコスロヴァキアの犠牲により戦争を回避しようとしたが、最終的に失敗し、第二次世界大戦を招くこととなった。

・ミュンヘン会談ののち決まったミュンヘン協定により、ドイツはズデーテン地方を得たが、その後も協定に違反し、1939年3月にチェコスロヴァキアの西半のベーメン(ボヘミア)とメーレン(モラヴィア)も併合した。これにより、チェコスロヴァキアは西半のチェコ(ボヘミア・モラヴィア)と東半のスロヴァキアに分離・解体された。また、その後スロヴァキアを屈服させ保護国とし、翌月にはイタリアがアルバニアを併合した。1939年5月には、ドイツ=イタリア軍事同盟が結ばれ、ファシズム国家の侵略が進んでいった。

第二次世界大戦の勃発

・度重なる領土要求を成功させたナチス=ドイツのヒトラーは、1939年3月以降、ドイツと東プロイセンの中間に位置したポーランド回廊と港町ダンツィヒ(現グダニスク)の割譲を要求した。ポーランド政府はイギリス・フランスを頼りに領土割譲を拒否した。

・1939年8月23日、突如ドイツとソ連が独ソ不可侵条約を結び世界を驚かせた。この条約には秘密条約があり、ドイツとソ連がポーランドやバルト三国における勢力範囲が決められた。

・1939年9月1日、ナチス=ドイツはポーランドに侵攻し、9月3日にイギリス・フランスがドイツに宣戦し、第二次世界大戦が勃発した。ドイツ軍は電撃戦により3週間でポーランド軍を屈服させ、9月17日にはソ連もポーランドに侵入し、ポーランド東半と西ウクライナ・白ロシアを占領した。ソ連はその後9月から10月にかけて、エストニア・ラトヴィア・リトアニアのバルト3国を占領し、11月から翌年3月にかけてソ連=フィンランド戦争を起こした。フィンランドをイギリス・フランスが支援したため、カレリア地方を奪った後ソ連は休戦に応じたが、1939年12月にフィンランドの訴えにより、ソ連は侵略国として国際連盟を除名された。ソ連はその後もベッサラビアをルーマニアから取得した。

・1940年4月、ドイツはデンマークとノルウェーを、5月にオランダ・ベルギーを占領した。6月10日にはイタリアが参戦したが、イタリア軍は軍事的役割をあまり果たさなかった。

・北部フランスに侵攻したドイツ軍は30万人以上の英仏軍を港町ダンケルクで包囲し、1940年6月14日にはフランスのパリに無欠入城し、新たに政治家ペタンを首班とするヴィシー政府が成立し、ドイツに降伏した。ヴィシー政府はドイツの協力政権となり、南部を統治し、北部はドイツ軍が直接支配した。一方フランスの将軍シャルル=ド=ゴールはイギリスに亡命し、ロンドンで自由フランス政府を樹立した。シャルル=ド=ゴールはドイツへの徹底抗戦を唱え、レジスタンス運動を指導した。

・フランス降伏後の1941年、孤立したイギリスを支援するため、アメリカ合衆国大統領フランクリン=ローズヴェルトが武器貸与法を成立させた。これは1937年の中立法を改正したもので、大統領名による兵器や軍需品の売却・譲渡・貸与・交換を認めたもので、のちに連合国の大半に適用され、総額500億ドルにものぼった。

・ドイツ軍は1941年までにユーゴスラヴィアやギリシアなどのバルカンを占領し、ルーマニアの油田を占領していたソ連との対立が深まった。こうした背景から、1941年4月、ソ連は日本と日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)を結び、ドイツのバルカン進出に備えた。占領下のユーゴスラヴィアでは、ティトーがパルチザン闘争の指揮をとり、ドイツ軍に抵抗した。

独ソ戦の開始

・1944年6月22日、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄し、ソ連に侵攻した。独ソ戦初期、ドイツ軍は多数の戦果をあげたが、その後ソ連領内に冬が到来すると、ソ連側の焦土作戦や補給の困難さから大損害を出し、長期化していった。これ以降、イギリスやアメリカがソ連を支援し、ファシズム対反ファシズムの戦いへと変わっていった。

・1948年8月、アメリカ大統領ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルが大西洋会談を行い、領土不拡大・領土不変更・民族自決・貿易の自由・労働と社会保障・海洋の自由・軍備縮小・平和機構の再建の8箇条からなる大西洋憲章を公表した。

・ナチス=ドイツは、第二次世界大戦中ユダヤ人の迫害を進め、様々な都市にゲットーを作りユダヤ人を隔離した。また、アウシュヴィッツなどの強制収容所を各地に作り、ユダヤ人を大量虐殺した。

太平洋戦争のはじまり

・ヨーロッパでドイツの快進撃が続いた1940年9月、日本は日独伊三国同盟を締結し、アメリカ・イギリスとの対立が進んだ。同時期、ドイツに対するフランス降伏に合わせ、日本は北部フランス領インドシナ(ベトナム)に進駐した。

・アメリカとの対立が深まる中、近衛内閣は日米交渉を進め、対米開戦の回避を模索した。交渉の内容は中国からの撤退と三国同盟からの脱退であったが、二・二六事件以降権力を拡大した日本軍部が譲らず、日米交渉中に日ソ中立条約締結やインドシナ進駐が行われたため、アメリカ側の態度が硬化した。国内では敵対勢力(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)を示すABCDラインという用語が盛んに使われ、10月に近衛内閣は東條内閣に交替し、日米開戦が決定的となった。

・1941年12月8日(米時間7日)、大日本帝国海軍の機動部隊がハワイ島真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を奇襲した。対米開戦の宣戦布告が攻撃より遅れたため、だまし討ちとなり、アメリカ世論は一気に対日戦争を支持するようになった。真珠湾攻撃により、ドイツ・イタリアも三国同盟に従いアメリカに宣戦布告した。ソ連は中立条約があったため、日本と開戦しなかった。

・日本軍は香港・マレー・シンガポール・ジャワ・スマトラ・フィリピン・ビルマ(ミャンマー)などアジア各地を占領し、日本を盟主とする「大東亜共栄圏」の形成を目指し大東亜会議を開催した。朝鮮や台湾に対しては皇民化政策として創氏改名などを行い、中国での三光政策や朝鮮人の強制連行、従軍慰安婦の徴用などを行った。

ファシズム諸国の敗北

・ファシズム支配地域において、各地で一般市民や非正規軍がレジスタンス闘争やゲリラ戦を繰り広げた。朝鮮では、朝鮮共産党の指導者金日成が朝鮮人民革命軍を率いて抗日武力抗争を続けた。中国では、国共合作により蒋介石の指揮下に入った中国共産党の紅軍が八路軍に改称され、華北での抗日戦争の主力となった。

・インド国民会議派のチャンドラ=ボースは、反英独立のため日本の協力を得てインド国民軍を組織したが、その後日本の戦略に利用された。ベトナムでは、インドシナ共産党が中心となり、ベトナム独立同盟という民族統一戦線が結成され、ホー=チ=ミン指導のもと、抗日武装闘争を繰り広げた。フィリピンではフクバラハップ(フク団)という抗日ゲリラがうまれ、ビルマでは反ファシスト人民自由連盟が抗日武装闘争を行った。

・1942年1月1日、連合国26カ国は連合国共同宣言を出し、結束を強化した。また、5月に英ソ軍事同盟が締結され、枢軸国を包囲した。

・太平洋では、1942年6月に大日本帝国海軍がミッドウェー海戦で大敗した後、ガダルカナル島の戦いでも陸軍が敗北し、敗戦に向かっていった。一方ヨーロッパでもスターリングラードの戦いでソ連にドイツ軍が敗れ、連合軍は北アフリカ上陸、シチリア上陸など反抗作戦を開始した。1943年5月には、ソ連のスターリンが連合国との結束を強化のためコミンテルンを解散した。シチリア上陸によりムッソリーニが失脚し、新たに成立したバドリオ政権は1943年9月に連合国に無条件降伏した。北イタリアはドイツ軍に占領されたが、7月にイタリア新政府は正式にファシスト党を解散させた。

・1943年、ローズヴェルト・チャーチル・蒋介石がカイロ会談を行い、日本降伏後の中国への領土返還と朝鮮独立を定めたカイロ宣言を出した。また、同年11月からはローズヴェルト・チャーチル・スターリンがテヘラン会談を行い、ドイツ降伏後のソ連による対日参戦が決まった。

・1944年6月、アメリカの総司令官アイゼンハウワーの指揮下で連合国のノルマンディー上陸作戦が始まり、8月のパリ解放など、ドイツの敗戦が濃厚となった。ソ連はポーランド・ブルガリア・ルーマニアに侵攻し、1945年4月にベルリンに突入した。

・対日戦争では、1944年6月にサイパン島が陥落し東條内閣が退陣し、その後日本本土空襲が激化した。アメリカ軍は10月にはレイテ島を攻略し、1945年1月にフィリピンを奪還した。2月には、ローズヴェルト・チャーチル・スターリンによるヤルタ会談が開かれ、敗戦ドイツの4国管理、ドイツ戦犯の裁判、ドイツ非武装化、ポーランドとユーゴの新政権樹立などを決めたヤルタ協定が結ばれた。秘密協定としては、ドイツ敗戦後3ヶ月以内のソ連対日参戦、南樺太・千島の獲得などが決まった。

・連合軍はその後もドレスデン大空襲、硫黄島攻略、沖縄攻略など進撃を続け、1945年4月30日にヒトラーが自殺し、5月2日にベルリンが陥落した。ドイツは5月7日に無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争が終わった。1945年7月から8月にかけて、チャーチル(途中からアトリー)、トルーマン、スターリンがポツダム会談を行い、戦後処理を決めたポツダム協定を決め、7月にはアメリカ・イギリス・中国の3国(8月8日にソ連加入)の日本の無条件降伏を勧告したポツダム宣言を発表した。8月6日には広島に原爆が投下され、8月8日にはソ連が日本に宣戦布告し、満州・朝鮮・樺太に侵入し、邦人のシベリア抑留を行った。8月9日には長崎に原爆が投下され、1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾し、9月2日に降伏文書に調印し、第二次世界大戦は終了した。

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