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ヴェルサイユ体制とワシントン体制(パリ講和会議、委任統治、軍縮会議など) 受験対策問題 95
著作名: レキシントン
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ヴェルサイユ体制とワシントン体制で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

ヴェルサイユ体制

・1919年1月18日、第一次世界大戦の講和条件を討議する パリ講和会議が開かれ、この会議でドイツ敗戦処理をまとめたヴェルサイユ条約が結ばれた。ヴェルサイユ条約により、ドイツはポーランド・ベルギー・チェコスロヴァキア・リトアニアに領土の一部を割譲し、ザールの帰属を人民投票で決め、ダンツィヒは国連の管理下に置かれた。ドイツは海外植民地を喪失し、オーストリアとの合併を禁止された。また、アルザス・ロレーヌをフランスに割譲、軍備制限により軍が弱体化し、ラインラント非武装地帯の設定、ポーランド回廊の割譲、1320億金マルクに及ぶ賠償金の支払いが決定した。

サン=ジェルマン条約により、オーストリア=ハンガリー帝国の領土はポーランド・チェコ・セルブ=クロアート=スロヴェーン(ユーゴスラヴィア)・ハンガリーなどの諸民族に分割された。また、ブルガリアはヌイイ条約により、ギリシア・ユーゴスラヴィアに領土を割譲し、大戦中に奪った土地をルーマニアに返還した。ハンガリーはトリアノン条約によりオーストリアから完全分離し、ルーマニア・ユーゴスラヴィア・チェコへの領土割譲が決まった。オスマン帝国はセーヴル条約により、欧州の領土がイスタンブル周辺のみとされ、メソポタミア・パレスチナをイギリス、シリアをフランスの委任統治領とし、キプロスをイギリスに割譲した。

・1818年11月3日、オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、ハンガリー王国、チェコスロヴァキア、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国が独立した。

フィンランド(1917年独立)・エストニア(1917年独立)・ラトヴィア(1918年独立)・リトアニア(1918年独立)はロシアから独立した。また、ポーランドも独立を宣言し1919年のパリ講和会議で正式に承認された。

・アラビアも独立し、1924年にイギリスはイブン=サウードを支援し王国を建国させ、その後1932年にサウジアラビア王国となった。

・第一次世界大戦の敗戦国の領土を処分する方式として委任統治がとられたが、これは事実上の領土再分割であった。イラク・パレスチナ・トランスヨルダンはイギリスの、シリア・レバノンはフランスの委任統治領とされた。

国際連盟の成立

・第一次世界大戦後、各国は国際協調主義をとり、資本主義的国際秩序の維持に努めた。そのためソ連など社会主義国や小国の主張は無視された。

・1920年1月、ウィルソンの十四か条の平和原則に基づき、史上初の集団的国際安全保障機構である国際連盟が発足した。国際連盟はジュネーヴに本部が置かれ、最高議決機関の総会、最高機関の一つである理事会(常任理事国はイギリス・フランス・イタリア・日本)、その他に連盟事務局・国際労働機関(ILO)・常任国際司法裁判所などが設置された。しかし、アメリカの不参加、ソ連・ドイツの排除、各国1票の全会一致原則、制裁規定の不明確などの課題もあった。

ワシントン体制

・1921年から1922年にかけて、アメリカ大統領ハーディングの提唱によりワシントン会議が開かれた。この会議で各国は、ワシントン海軍軍備制限条約・九カ国条約・四カ国条約を締結した。

・ワシントン海軍軍備制限条約の締結により、主力艦保有比率をイギリス(5)・アメリカ(5)・日本(3)・フランス(1.67)・イタリア(1.67)に定めた。また、四国条約でアメリカ・イギリス・フランス・日本が太平洋域の領土・権益保全と、島嶼部の非軍事基地化を約束し、九カ国条約でアメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア・中国・オランダ・ベルギーが中国の領土保全・機会均等・門戸開放・主権独立の尊重が決められ、石井・ランシング協定は失効し、日本の中国進出は二十一カ条要求以前の状態に戻った。

・これらの国際秩序はワシントン体制と呼ばれ、ヨーロッパ方面のヴェルサイユ体制とともに1920年代の国際秩序を支えた。

軍縮の進展

・1925年、ロカルノ条約が結ばれ、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコの7カ国が西ヨーロッパの安全保障を取り決めた。1927年にはジュネーヴ軍縮会議が開かれたが、フランス・イタリアの不参加により解散した。

・1928年には、ケロッグ・ブリアン協定(不戦条約)が15カ国の間で結ばれた。1930年には、ロンドン軍縮会議が開かれ、補助艦保有比率をイギリス(10)・アメリカ(10)・日本(7弱)と規定した。この決定に日本の軍部は反発し、のちの軍国主義化につながった。

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