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トルコ・イラン世界の展開(ティムール帝国・オスマン帝国・サファヴィー朝など) 受験対策問題 54
著作名: レキシントン
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トルコ・イラン世界の展開で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

ティムール帝国の興亡

・中央アジアには、チャガタイ=ハン国があったが、14世紀にイスラーム化した後分裂した。西チャガタイ=ハン国(1330頃〜1360)は東チャガタイ=ハン国の攻撃や内紛で衰えた。

・西チャガタイ=ハン国の混乱からティムールが台頭し、1370年にティムール朝(帝国)を建国した。ティムール帝国(1370〜1507)サマルカンドを都とし、キプチャク=ハン国、西北インドに侵攻した。

・ティムールは1402アンカラの戦いオスマン帝国バヤジット1世を捕らえ、オスマン帝国を一時中断に追い込んだ。

・ティムール朝は第3代のシャー=ルフ、第4代のウルグ=ベクの時代に最盛期を迎えたが、最終的にウズベク人によって滅ぼされた。

オスマン帝国の成立と発展

ルーム=セルジューク朝に仕えていたオスマン=ベイは、1299オスマン帝国を建国した。初期の都はブルサに置かれ、1362年にムラト1世がビザンツ帝国からアドリアノープル(エディルネ)を奪うと、ここに都が移された。ムラト1世はコソヴォの戦いでスラヴ人勢力を破った。

・第4代バヤジット1世は、1396年のニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムント率いるキリスト教連合軍を破ったが、その後1402年のアンカラの戦いでティムールに捕らえられた。

・第7代メフメト2世の時代には、1453年にコンスタンティノープルを陥落させビザンツ帝国を滅ぼし、新たにイスタンブールという首都とした。15世紀末にはクリム=ハン国を服属させた。

・第9代セリム1世の時代には、1514年サファヴィー朝を破り、1516年シリアを占領した。1517年にはマムルーク朝を滅ぼし、メッカ・メディナの支配権を獲得した。セリム1世はマムルーク朝を滅ぼした際、亡命していたアッバース朝のカリフから地位を奪い、スルタン=カリフ制が成立した。(最近の研究によって見解が異なる。)

・第10代スレイマン1世は、オスマン帝国の最盛期を現出し、モハーチの戦い、第1次ウィーン包囲、プレヴェザ海戦など積極的な対外戦争を行った。またフランス王フランソワ1世と同盟を結び、カピチュレーションという治外法権を与えた。文化面でもミマーリ=シナンが設計したスレイマン=モスク建設やバーキーという詩人が活躍した。

1571年には、レパントの海戦が起こり、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊に破れ、オスマン帝国は地中海世界の覇権を失った。

・初期のオスマン帝国軍はティマールという徴税権を与えられたシパーヒーが主力だったが、後にキリスト教徒の子弟や捕虜を徴用するデウシルメが始められ、イェニチェリという常備歩兵が主力となった。

1683年には第2次ウィーン包囲が行われたが撃退され、1699年にはカルロヴィッツ条約が結ばれ、以後ヨーロッパへの影響力は減少した。

・第23代アフメト3世の治世には、文化爛熟なチューリップ時代を迎えたが、国力は衰退していった。

サファヴィー朝の盛衰

・15世紀末にイスラームの神秘主義教団(サファヴィー教団)の指導者となったイスマーイール1世は、イランを平定し、1501年タブリーズサファヴィー朝を建国した。サファヴィー朝はシーア派を国教とし、中でも十二イマーム派がその中心となった。

・第5代アッバース1世はオスマン帝国と戦い、アゼルバイジャンとイラクの一部を奪い、ポルトガル人をホルムズ島から駆逐した。また、都をイスファハーンに移し、最盛期を現出した。

・サファヴィー朝滅亡後はアフシャール朝ができたが、すぐにカジャール朝にかわられた。カジャール朝はその後イギリスとロシアの勢力抗争地域となった。

・中央アジアにはウズベク人が建国したブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国などが成立したが、ロシアに併合された。またカザフ人もロシアに併合された。

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