manapedia
十字軍の歴史① ~十字軍が起こった原因と聖地奪還運動~
著作名: エンリケ航海王子
72,313 views
マナペディア(manapedia)とは、中学校・高等学校で勉強する科目に特化した、マナビを共有し合う場です。たくさんのテキストの中からあなたにあったマナビを探したり、あなたが学習・勉強してきたマナビを形に残したりすることができます。テキストの内容に関しては、他の参考文献をご覧になり、ご自身の責任のもとご判断・ご利用頂きますようお願い致します。

はじめに


ALT


聖戦を行ったとされる十字軍は、どのような背景から生まれてきたのでしょう。このテキストでは、当時のヨーロッパ社会の様子を中心に、十字軍遠征の理由を見ていきましょう。

十字軍がおこった背景とは

十字軍は、なぜ11世紀のヨーロッパにおこったのでしょう。主な理由は以下のようなものであると考えられています。

聖地の存在と巡礼の流行

11世紀から12世紀にかけて、キリスト教の人々の間では、さまざまな場所が聖地として崇められていました。特に、三大聖地と言われたローマ・イェルサレム・サンティアゴ=デ=コンポステーラが多くの人々の巡礼地として人気を集めました。

イェルサレムはキリストの墓、ローマは聖ペテロの墓、サンティアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの墓があると信じられていました。ちなみにサンティアゴ・デ・コンポステーラは現在のスペイン北西にあります。


この聖地への巡礼は、当時のヨーロッパにおいて重要な活動となり、近隣のイスラム王朝との緊張も高まるばかりでした。

そのころ東方のビザンツ帝国はセルジューク朝との戦いに苦戦しており、キリスト教国の団結が必要とされていたのです。

また、これに関連して、クリュニー修道院が聖地巡礼を後押しすると共に、キリスト教徒によるイベリア半島におけるレコンキスタも本格化し始めます。

この時代、現在のスペインがあるイベリア半島は、大部分をイスラム王朝が支配していました。


農業の技術革新と人口増加

10世紀ころから、ヨーロッパ各地で農業の技術革新が始まりました。主な新技術は以下のようなものです。

新技術内容
三圃制農業耕作地を三分割して休閑地を設け、三年で一巡させる農業。二圃制よりも農業生産性が増した。
鉄製農具従来の器具に比べ、強靭で扱いやすい農具。
重量有輪犁牛馬を使って、土を掘り起こす道具。土を深く耕し、農業生産性が向上した。
水車人工的に灌漑地に水を送る装置。
開放耕地制耕地を仕切らずに耕す農法。


このような農業技術の向上によって食料の増産が可能となり、人口も爆発的に増加しました。この農業の生産性向上は、大開墾運動というものを引き起こします。

人口が増加した西ヨーロッパでは、特にドイツ諸侯や騎士、修道院によってエルベ川以東への植民活動が盛んになりました。これにより、西ヨーロッパによる領域の拡大というものが始まりました。

セルジューク朝による聖地占領

東方のビザンツ帝国は三大聖地の一つであるイェルサレムを管理していました。しかし、11世紀にセルジューク朝との戦いに敗れ、イェルサレムがイスラム王朝に占領されてしまいます。
これはキリスト教徒にとって耐え難い事件となりました。
こうした中、ビザンツ帝国の皇帝アレクシオス1世は、ローマ教皇を通じて西ヨーロッパ世界に救援を求めました。このことが、十字軍結成の直接的な契機になったのです。

1ページ
前ページ
1/2
次ページ

このテキストを評価してください。
役に立った
う~ん・・・
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。






世界史