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古代朝鮮と倭国(高句麗・百済・新羅、邪馬台国、大和政権など) 受験対策問題 23
著作名: レキシントン
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古代朝鮮と倭国で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

古代の朝鮮半島

・古代の朝鮮半島や中国北東地方には、貊(はく)族と言われる人々が居住していた。彼らは、狩猟や牧畜を糧に生活し、のちに夫余高句麗といった国を建国した。

・紀元前1世紀、貊族の一部族が中国東北地方に夫余(扶余)(紀元前1世紀~494)を建国した。夫余は、中国文化から多大な影響を受け発展し、3世紀まで繁栄を続けたが、最後は鮮卑高句麗の攻撃を受け、494年に高句麗に滅ぼされた。

・夫余が建国された同時期、貊族の別部族が中国東北地方南部鴨緑江流域に高句麗(紀元前1世紀~668)を建国した。

・前108年、前漢武帝衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪・真番・臨屯・玄菟という朝鮮4郡を設置した。楽浪郡は漢の朝鮮支配の拠点となり、その後魏・晋にも受け継がれた。楽浪郡は[red後漢末]に中国系の公孫氏により南部に帯方郡が設置され、と通交した。

・朝鮮半島南部には、韓族と言われる人々が居住していた。彼らは、西南部の馬韓、南東部の辰韓、そのあいだの弁韓に分かれており、これを三韓という。はじめ、楽浪郡帯方郡に朝貢していたが、時代を経て、馬韓は百済、辰韓は新羅に統一され、弁韓は任那(加羅)という小国家連合となった。任那は、その後新羅に滅ぼされる。

朝鮮の三国時代

丸都城を都とした高句麗は次第に発展し、313年に楽浪郡帯方郡を滅ぼした。4世紀から7世紀にかけて、朝鮮では高句麗・新羅・百済が覇権を争う三国時代がはじまった。

高句麗(前1世紀~668)貊族が建国。313年楽浪・帯方郡を滅ぼし、5世紀に丸都城から平壌に遷都。668年、唐・新羅連合軍に滅ぼされる。
新羅(4世紀半ば~935)辰韓が統一し建国。都は慶州百済・高句麗を滅ぼした後、を駆逐し、朝鮮を支配した。のちに高麗に滅ぼされる。
百済(4世紀半ば~660)馬韓が統一し建国。都は漢城。日本の支援をうけ、中国の南朝に朝貢したが、660年唐・新羅連合軍に滅ぼされる。663年百済復興のため日本の援軍を受け白村江の戦いが行われたが、完敗した。


・高句麗は第19広開土王(好太王)(在位391~412)が朝鮮南部の百済・新羅を圧迫し、朝鮮半島に進出しようとしたを破った。子の長寿王がこの功績を讃たたえ、丸都城広開土王碑を建立した。

邪馬台国と大和政権

3世紀の日本には、邪馬台国という国家が存在した。女王卑弥呼が統治し、に朝貢したとされる。中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称を『魏志倭人伝』といい、この中に邪馬台国の記述がある。

・朝貢した卑弥呼に対し、魏王は親魏倭王という称号を与えた。その後4世紀から7世紀にかけて、大和を中心とした古代王朝大和政権が生まれ、中国や朝鮮半島と通交した。

5世紀には、中国南朝と交渉をもった倭の五王(讃・珍・済・興・武)がいたとされ、中国南朝の史書『宋書』に記述がある。

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