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エーゲ文明とギリシア(クレタ文明、ミケーネ文明、ポリスの成立など) 受験対策問題 6
著作名: レキシントン
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エーゲ文明とギリシアで押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

エーゲ文明とは

・エーゲ文明は、地中海の一部で、バルカン半島アナトリア半島に挟まれたエーゲ海周辺におこった文明のこと。

・エーゲ文明は青銅器文明であり、紀元前2000年~紀元前1400年頃に栄えたクレタ文明と、紀元前1600年~1200年頃に栄えたミケーネ文明が代表的である。

クレタ文明

・クレタ文明はエーゲ海に浮かぶクレタ島を中心にクレタ人が作った文明。海上交易で栄え、王の名前からミノス文明とも呼ばれる。この文明は宮殿に城壁がなく、写実的な美術品があったことから、明るく開放的な特徴をもつ。

・伝説の王ミノスが住んだとされ、巨大な迷宮(ラビリンス)だったクノッソス宮殿を、1900年以降イギリスの考古学者エヴァンズが発見し、存在が確認された。

・この文明で使われた文字を、線文字Aという。

・クレタ文明は、後にミケーネ文明を作ることになるアカイア人によって滅ぼされた。

ミケーネ文明

・ミケーネ文明は、もともとバルカン半島北部に住んでいたインド=ヨーロッパ系のギリシア人の第1波アカイア人が、ペロポネソス半島のミケーネ地方に定住し形成した文明。

・ミケーネ文明は巨石で作られた城塞など閉鎖的な特徴がある。

ホメロスの叙事詩を信じたドイツの考古学者シュリーマンにより発見された。ミケーネ、ティリンス、ピュロスが代表的な遺跡。

・この文明で使われた文字を、線文字Bという。線文字Bは、ピュロスで大量に発見され、1952年イギリス人建築家のヴェントリスによって解読された。

・シュリーマンは他にも、アナトリア半島でトロイア遺跡を発見し、ホメロスの叙事詩『イリアス』、『オデュッセイア』に描かれたトロイアの実在を証明した。

・ミケーネ文明は、農民から農作物を徴収する貢納王政で、最終的に「海の民」に滅ぼされたと考えられている。

・ミケーネ文明滅亡後のギリシアの状況を、発見される資料が極めて少く不明なことが多いことから、暗黒時代と呼ぶ。

ポリスの成立

・ギリシアとは、バルカン半島南部の地域のことで、雨が少なくオリーブぶどうなどの果樹栽培に適した土地だった。穀物は海外から輸入したため、海上交易や交通が発達した。

・ギリシア人は紀元前20世紀以降にバルカン半島北部から南下をはじめ、使った言葉により、東方方言群アカイア人・イオニア人・アイオリス人と、西方方言群ドーリア人に区別される。

・紀元前8世紀ころから、貴族などが中心となり集住(シノイキスモス)がおこり、貴族制ポリスが成立する。

・ポリスとは、古代ギリシアの都市国家のことで、城壁の内側の中心市と周辺の田園地帯で構成されていた。

・ポリスの中心には神を祀ったアクロポリスという丘があり、そのふもとに公共の広場としてアゴラがあった。アゴラでは集会や交易、裁判が行われ、ポリスの重要な場所となった。

・ギリシア人は英雄ヘレンの末裔としてヘレネスと自称し、他方異民族をバルバロイとよんだ。

・ギリシア世界において、中部ギリシアのデルフィの神託が重要視された。宣戦布告や講和、植民などの重要事項は、この神託を元にして決められた。

・オリンピックの元になったオリンピアの祭典は紀元前776年から行われたが、393年にローマ皇帝の勅令により中止となった。

・ギリシア各地には植民市が建てられた。ビザンティオン(現イスタンブール)、マッサリア(現マルセイユ)、ネアポリス(現ナポリ)、ニカイア(現ニース)、タレントゥム(現タラント)、シラクサなどが有名。

・紀元前7世紀後半にはリディア王国で使われた貨幣がもたらされ、その後商業活動の発達と同時に、貧富の格差が生まれる要因となった。

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