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『木の花は』 枕草子 わかりやすい現代語訳と解説
著作名: 走るメロス
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『木の花は』

ここでは、清少納言が書いた枕草子の35段「木の花は」(木の花は、濃きも薄きも紅梅〜)の現代語訳・口語訳とその解説を行っています。

原文

木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし

四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。

梨の花、よにすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひ こそ、心もとなうつきためれ。 楊貴妃の、帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、

「梨花一枝、春、雨を帯びたり。」
など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあら じとおぼえたり。

桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことことしき名つきたる鳥の、選りてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。
 
木のさまにくげなれど、楝の花いとをかし。かれがれにさまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし。

現代語訳

木の花で言うならば、色が濃くても薄くても梅の花がよい。桜は、花びらが大きくて葉っぱの色が濃く、枝が細い様子で咲いているのがよい。藤の花は、花房がしなやかに長く、色が濃く咲いている様子がとてもすばらしい。

4月の最後の日、5月の1日のころに、橘の葉っぱが濃く青く、そして花がとても白く咲いているが、雨が降った日の翌朝などは、またとなく趣あるようすで心ひかれる。花びらの中から、(果実が)黄金の玉かと思ってとてもあざやかに見える様子などは、朝露に濡れた明け方の桜に勝るとも劣らない。

梨の花は、まったく面白みがないものとして、身近には取り扱わずに、ちょっとした手紙に結びつけることさえしない。かわいらしさが劣っている人の顔などを見ては、引き合いに出すこともあるが、いかにも、葉の色からして不釣合いに見えるが、中国ではこの上なくすばらしいものとして、漢詩にも使われるには、わけがあるのだろうと思って、せめて観察をしてみると、花びらの端に、美しい色つやが、ほのかについているように見える。(中国では)楊貴妃が帝の遣いに会って泣いているときの顔を真似て

「梨花一枝、春、雨を帯びたり」


などと歌に詠んでいるいるのはなみひととおりのことではないだろうと思うし、やはりとても素晴らしいということは、比類するものがないからであろうと思う。

桐の木の花が、紫色に咲いているのは風情があるが、葉の広がる様子が異様におおげさなのだが、他の木と同じように言うべきではない。中国で大げさな名前のついた鳥(鳳凰)が、選んでこれ(桐の木)ばかりにとまっているというのは、なみなみではなく別格である。ましてや琴の材料にして、さまざまな音を奏でるということを、世間的に趣があると言ってよいのだろうか。とても素晴らしいことである。

木の様子は見た目が悪いけれど、楝の花はとても趣がある。枯れそうに他の花とは異なった様子で咲いて、5月5日に開花のタイミングがあうのも興味深い。

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