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中世ヨーロッパの歴史 5 封建社会のはじまりと特徴(封建制度と荘園制度)
著作名: ピアソラ
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封建社会とは何か

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中世の西ヨーロッパは、封建社会という社会構造でした。

西ヨーロッパの封建社会は、「封建制度」と「荘園制度」という2つの制度によって成立していました。

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(封建社会の構造)

西ヨーロッパ封建制度の特徴

西ヨーロッパの封建社会を支えた制度の一つが封建制度です。

封建制度と言えば、古代中国の周の時代にも出てきますね。

実は、西ヨーロッパの制度はフューダリズムというのですが、日本語の訳を当てはめた際に封建制度という言葉が当てはめられました。

同じ封建制度でも、中国とヨーロッパの封建制度はかなり異なります。

中国の封建制度は、主君と家臣の血縁関係によって支えられていましたが、西ヨーロッパの封建制度は、1対1の双務的契約関係でした。

なにやら難しい言葉が出てきましたが、要するに主君と家臣の両方が、それぞれの義務を尽くさないと関係性が終わるということです。

主君は家臣に封土(領地)を与え保護する義務があり、一方家臣は軍役や奉仕を通じて主君に報いなければいけませんでした。

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(封建制度)

この関係は、1対1の契約だったので、国王が自分の家臣の家臣を支配することはできませんでした。また、家臣が複数の主君に仕えることもありました。

封建制度が成立した時期と理由

このような封建制度は、いつごろ出来上がっていったのでしょう。

8世紀から9世紀にかけて、西ヨーロッパは、イスラム勢力やマジャール、ヴァイキングなど、異民族の侵入によって混乱していましたね。

そのため、人々は自己防衛を図る必要性があり、有力者を見つけ保護してもらうという関係をつくっていったのです。

封建制度の成立には、古くからあった2つの制度が関係しています。

まず一つが、古代ローマからあった恩貸地制です。

恩貸地制は、ローマ帝国末期、混乱する社会で土地所有者が自分の領地を守るため、その地域の有力者に土地を差し出したあと、改めて借り受けるという制度でした。

もう一つが、古代ゲルマンの従士制です。

従士制は自由民が有力者から保護してもらう代わりに、従士として忠誠を尽くすという制度です。

こうして、土地を与えられる恩貸地制と、主従関係を結ぶ従士制が一緒になり、封建制度が成立しました。

騎士の登場

この時代、中世ヨーロッパの花形ともいうべき騎士が登場します。

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(騎士)

国王も諸侯も身分的には騎士なのですが、主に主君と契約を結んで軍事奉仕を行う戦士階級のことをいいます。

騎士身分になるためには、幼少期から王侯の宮廷で武技の訓練を続け、青年になった時に主君から叙任されるという厳しい道を通らなければなりませんでした。

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(叙任式)

このように、騎士は名誉ある地位であったので、その地位にふさわしい行動規範として、騎士道精神が発達します。

騎士道精神はキリスト教の影響を強く受け、騎士には女性や弱者の保護、異端の撲滅などが求められました。

荘園制度とは

封建制度とともに、中世ヨーロッパの封建社会を形成したのが荘園制です。

領地を所有した国王や諸侯、騎士、教会を領主といいます。

これら領主の所有地を荘園といい、ここで、多数の農奴が働いていました。

最初は領主直営地農民保有地共有地からなる古典荘園が主流になります。

領主直営地は、領主が直接経営した土地で、ここでの収穫物はすべて領主のものになりました。直営地での労働を賦役といいます。

農民保有地は、領主が農民に保有させた土地で、自分の取り分と、地代(貢納)を納めなければなりませんでした。

共有地は、農民が共同で使う土地で、牧草地や森林などのことです。

農奴には賦役と貢納のほかにも、結婚税死亡税、教会への十分の一税などさまざまな税を支払わなければなりませんでした。

また、仕える領主がもつ領主裁判権に従う必要があり、荘園における領主の権力は非常に大きなもので、農奴は力によって支配されていました。

さらに、王権が弱体化したフランク王国の末期以降、有力な領主は不輸不入権を獲得します。

これは、荘園内の課税や裁判を拒否できる権利で、国王であっても侵すことのできない制度となり、その後王権は更に弱体化し、大小の領主が分立する状況が続きます。

荘園制度の変化

時が経つにつれて、新しい農法が確立していきます。

重要有輪犂や、春耕地・秋耕地・休閑地にわける三圃制農業が普及し、農業の生産性が向上しました。

これをうけて13世紀頃に、古典荘園の領主直営地が農民保有地に分割されていきます。

賦役がなくなり、農奴のやる気が高まり、貢納のみになった純粋荘園(地代荘園)へと変わっていったのです。純粋荘園では地代の金納がすすむにつれ農奴の地位も向上し、農業生産は飛躍的に高まっていきます。

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