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第一次世界大戦はなぜ起こったのか 4 大戦のはじまりと帰結
著作名: ピアソラ
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サラエヴォ事件と第一次世界大戦の勃発

バルカン半島のボスニア=ヘルツェゴビナは、1908年の時点でオーストリアに併合されていました。この地域にはスラヴ系民族も多く、彼らはパン=スラヴ主義のもと、オーストリアの支配に対する反対運動を繰り広げていました。

1914年6月28日、オーストリアの皇位継承者フランツ=フェルディナント大公夫妻が、陸軍の軍事演習視察のためボスニアの州都サラエヴォを訪問中、反オーストリア運動結社「黒い手」のメンバーだったセルビア人に暗殺されます。

このサラエヴォ事件に、オーストリア政府は激怒します。

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(サラエヴォ事件)

オーストリアは、事件の黒幕だったセルビア政府に対し、オーストリア最後通牒を突きつけます。

この最後通牒に対して、セルビア政府からの回答が得られなかったため、1914年7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まります。

連合国と同盟国

オーストリアとセルビアの戦争は、当時の複雑な同盟関係から世界大戦に発展していきます。

第一次世界大戦は1914年から1918年まで4年間にわたって行われますが、最終的に、三国協商側の連合国と、三国同盟側の同盟国が戦いました。

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連合国

イギリス・フランス・ロシア帝国・日本・セルビア・モンテネグロ・イタリア(1915年参戦)・ルーマニア(1916年参戦)・アメリカ(1917年参戦)・中国(1917年参戦)など27カ国

同盟国

ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ブルガリアの4カ国

イタリアは三国同盟側でしたが、1915年にイギリスとのロンドン秘密条約によって未回収のイタリアを割譲することを連合国側から約束されたことから、三国同盟を脱退し、連合国側で参戦しました。


第一次世界大戦の拡大

戦争はドイツ軍による中立国ベルギー侵入から始まります。

ドイツ軍はシュリーフェン・プランという作戦をもとに、フランスを短期間で撃破しようとしていました。

中立国ベルギーを突破し、北フランスからフランス全土に侵攻しようとしたのです。

しかし1914年9月、マルヌの戦いフランス側の反撃が始まると、ドイツ軍の進撃は止まり、西部戦線塹壕戦となります。1916年ヴェルダンの戦いや、ソンムの戦いで両陣営が甚大な被害を出しても決着がつかず、戦争は膠着状態に入りました。

塹壕とは、砲撃や銃撃から身を守るために使う穴や溝のことで、両軍が塹壕を使い、機関銃の投入によって防御側の優位性が高まったことから、戦争は両軍が睨み合い長期化していきました。


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(塹壕戦)

一方の東部戦線では、タンネンベルクの戦いでドイツ軍が司令官ヒンデンブルク(後のドイツ大統領)の指揮によりロシア軍を撃破し、ロシア領内に進軍しますが、広大な国土と冬の到来で決着がつきませんでした。

ヨーロッパ戦線では、戦車、毒ガス、潜水艦、飛行機、機関銃など様々な新兵器が投入され、戦死者の数は年々増加していきました。

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(大戦期の新兵器)

東アジアでも日英同盟により日本が連合国側で参戦すると、中国にあったドイツの租借地膠州湾青島を占領し、ドイツの利権を奪っていきます。また、1915年1月には、中国の袁世凱政府に対し、中国東北地方・内モンゴル・華北地方の隷属を求める二十一カ条要求を突きつけ、中国内の反日感情が高まっていきます。

短期間で終わると思われていた戦争が長期化したことにより、各国は軍事に国力の多くを割くようになり、国民の消費生活が極端に制限される総力戦となっていきます。また、イギリスのロイド=ジョージ内閣、フランスのクレマンソー内閣など、諸政党が結束して戦争に取り組む挙国一致内閣が成立します。

秘密外交

戦争が膠着状態になり長期化していく中で、各国は自分たちの陣営に味方の国を引きこむために、秘密外交を展開しました。

特に、イギリスは多くの秘密条約を締結していました。

「未回収のイタリア」を戦後イタリアに割譲することを約束したロンドン秘密条約や、パレスチナ地域をめぐるアラブ側とのフサイン=マクマホン協定、同地域をユダヤ人の土地にするというバルフォア宣言、戦後のオスマン帝国割譲案であるサイクス=ピコ協定インド自治の約束など、イギリスはさまざまな秘密外交を行いました。

現在のパレスチナ問題の発端は、この時のイギリスの秘密外交が原因になっています。


アメリカの参戦と戦局の転換

総力戦のなか、各国は相手陣営の経済を疲弊させるため、海上封鎖などを行いました。

連合国側に制海権を握られたドイツ軍は、1917年に無制限潜水艦作戦をとるようになります。

これは、敵陣営に関係する船舶に対して、国籍問わず潜水艦が無警告で攻撃するという作戦でした。

アメリカ合衆国は長い間中立を保っていましたが、1915年にドイツの潜水艦がイギリスの客船を沈没させたルシタニア号事件で多くのアメリカ人が犠牲になって以来、反ドイツ感情が高まっていたため、1917年4月、アメリカ大統領ウィルソンはついに参戦を決意します。

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(1915年ルシタニア号の沈没)

アメリカの参戦理由は、ドイツの無制限潜水艦作戦発動以外に、連合国の敗北により、イギリスやフランスに貸していた多額の米国債権が支払われなくなる可能性があったためと言われています。


アメリカの参戦により、連合国側は多くの物資を得ることになり、同盟国側が劣勢に立たされることになりました。

ウィルソンは1918年、大戦後の国際秩序を記した十四カ条の平和原則を発表します。
この内容は次のようなものでした。
1秘密外交の廃止、2海洋の自由、3経済障壁の撤廃、4軍備の縮小、5植民地問題の公正解決、6ロシアの回復、7ベルギーの回復、8フランス領(アルザス・ロレーヌ)の回復、9イタリア国境の調整、10オーストリア=ハンガリー帝国の自治、11バルカン諸国の回復、12トルコ少数民族の保護、13ポーランドの独立、14国際平和機構の設立

十四カ条の平和原則がきっかけとなり、後に国際連盟が創設されます。


大戦の終結

1917年11月、東部戦線の戦いが長期化した結果、国民が困窮したロシアの首都ペトログラード十月革命がおこり、ニコライ二世は退位し、ロマノフ朝が滅亡します。

政権を握ったボリシェヴィキソヴィエト政府を樹立すると、ドイツと単独でブレスト=リトフスク条約を結び、戦争から離脱します。

その後1918年9月にブルガリア、10月にオスマン帝国オーストリアが降伏し、ハプスブルク家が崩壊します。

11月に入ると、長期化した戦争によって疲弊したドイツのキール軍港で水兵たちの反乱がきっかけとなってドイツ革命が起こり、皇帝ヴィルヘルム2世は退位し、ドイツは共和国になります。

1918年11月11日、ドイツ共和国政府は正式に連合国に降伏し、4年間にわたって行われ900万人以上の戦死者を出した第一次世界大戦はついに終結しました。

この世界大戦は戦後の世界に、主戦場となったヨーロッパの没落、帝国主義国家によって支配されていた殖民地の独立運動の活発化、ソヴィエトの建国、大きな痛手を受けなかったアメリカや日本の地位が上がるなど、歴史上大きな影響を与えました。

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