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徳川家康・徳川秀忠・徳川家光がそれぞれ行った外交政策のまとめ
著作名: 早稲男
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はじめに

江戸幕府が1603に始まり、1639年に本格的な鎖国が始まりました。この間の将軍は、家康秀忠家光の3人ですが、この3人が将軍のときに行っていた外交の内容について詳しくみていきましょう。

徳川家康

徳川家康は、いわずと知れた初代将軍です。1603年に征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きました。在位期間は1603年~1605年とそれほど長くはありませんでしたが、引退後も大阪冬の陣、大阪夏の陣を指揮するなど絶大な影響力を持っていました。

さて、この家康が実権を握っていた時期の外交の歴史はというと。

リーフデ号の漂着

1600年にオランダ籍のリーフデ号が豊後に漂着します。乗組員には三浦按針(本名 ウィリアム=アダムス)やヤン=ヨーステンらがいました。

按針は徳川幕府の外交顧問として、そしてヤン=ヨーステンは長崎の平戸に平戸商館を開設して朱印船貿易の発展に寄与しました。オランダの商館が開設されたのは1609年のことです。朱印船貿易は室町時代の貿易と思いきや、江戸時代でも行われていたんですね。

徳川秀忠

徳川秀忠は2代将軍になります。家康から将軍職を受け継ぎ、在位した期間は1605年~1623年です。この間に起こった外交の出来事をまとめていきます。

平戸商館の完成

1609年に、家康の時代から三浦按針、ヤン=ヨーステンが注力していたオランダ商館が平戸に完成しました。これについで1613年にはイギリス商館が開設されています。

己酉条約を締結

平戸に商館が完成したのと同じ1609年に、幕府は朝鮮と己酉条約を締結しました。豊臣秀吉の朝鮮出兵以来、国交がとぎれていたのをこの条約によって復活させることに成功したのです。慶長条約とも言います。

田中勝介がノビスバンへ

1609年にスペイン国籍の船が日本に漂着します。この船に乗船していたドン=ロドリゴをノビスバン(メキシコ)まで送り届けるために、京都の商人であった田中勝介が太平洋を渡ります。

徳川家光

参勤交代や幕府に大老をおくなど、江戸幕府の幕藩体制を整えたのが3代将軍徳川家光でした。家光の在位期間は1623年~1651年になりますが、この期間に起こった外交の出来事は。

鎖国の準備

家光の外交における大きな政策は鎖国です。1624年にイスパニア人(スペイン人)の来航禁止をかわきりに、1633年には奉書船以外の日本の船が海外に出るのを禁止しました。奉書船とは、朱印状以外に幕府の発行した奉書を持っている船のことです。

1635年には海外に住んでいる日本人の帰国を禁止し、仮に帰国した場合には死刑にすると通告します。そしてついに1639年にポルトガル籍の船の来航を禁止したことで鎖国が完成します。ただし鎖国後も中国オランダとは貿易の関係にあり、この2国に関しては長崎の出島への来航をみとめていました。




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