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百年戦争はなぜ起こったか
著作名: ピアソラ
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百年戦争って?

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百年戦争は、フランスとイギリスが百年ものあいだ戦った戦争です。

想像もつかないような長い戦争ですが、なぜこの戦争が起こったんでしょう。

複雑なフランス王室とイギリス王室の関係

この戦争の背景には、有力な毛織物の産地フランドル地方をめぐる争いと、フランスの王位継承問題がありました。

フランス王家とイギリス王家の関係を、家系図から見てみましょう。

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この家系図をみてみると、シャルル4世のあとにカペー朝が途絶えたあと、フィリップ6世が即位してヴァロワ朝を開いています。

ところが、シャルル4世の妹が、イギリスのプランタジネット朝エドワード3世の母親となっていますね。

つまり、エドワード3世はカペー朝の血をひくフランスの王位継承権を持っていたという事なんです。

フランスのヴァロワ朝と、イギリスのプランタジネット朝がフランス王位をめぐって開戦したのが百年戦争のきっかけです。

百年戦争の推移

1339年の百年戦争開戦後、エドワード3世が率いたクレシーの戦いや、その息子のエドワード黒太子が率いたポワティエの戦いなど、イギリス軍が次々と勝利します。

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<クレシーの戦い>

当時、イギリス軍はロングボウを装備した長弓兵の軍団を組織していて、遠距離からフランス軍の騎兵や歩兵を次々と倒していきました。

フランスはその後もペストの大流行やジャクリーの農民一揆など、苦しい時代が続きます。

長い間苦戦が続いたフランスですが、1429年にオルレアンを開放するためにジャンヌ=ダルクが登場すると、状況が変わります。

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<ジャンヌ=ダルク>

ジャンヌ=ダルクはオルレアン解放後、北部のランスも奪還し、そこでシャルル7世が戴冠し、ヴァロワ朝第5代国王に即位します。

シャルル7世の即位とともに、フランス軍は形勢を逆転し、1453年カレーを除くすべての国土からイギリスが撤退し、ついに百年戦争は終結します。

1453年はオスマントルコによりコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅亡した年でもあります。


百年戦争の影響

長い間フランス・イギリス両国に多大な損害を出した百年戦争の結果、それぞれの国の諸侯や騎士階級が没落して行きました。

そのため封建社会は崩壊し、農民の開放市民階級が勃興します。

また、大諸侯が没落していったので、フランス・イギリス王室は権力を増し、その後の絶対王政へと繋がっていきました。

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