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ヨーロッパの封建社会 ③
著作名: 逆転検事
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封建社会の崩壊

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前回、前々回と、封建社会の成立と発展を見てきました。

このテキストでは、封建社会がどのようにして崩壊していったかを解説したいと思います。

不輸不入権など、荘園内の様々な権利を持っていた領主は、農奴の労働力を基に、領地の中で絶対的な権力を握っていました。

このように、支配層にとって、非常に重要な制度だった封建制度ですが、14世紀以降、社会制度として行き詰まります。この理由として、いくつかの背景が挙げられます。

貨幣経済の普及

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領主の直営地を賦役する必要のある古典荘園から、直営地がなく、農奴の保有地から、生産地代を納める地代(純粋)荘園へと変化していくわけですが、この時、納める地代は定率なので、余った生産物は農奴のものとなりました。

ここで重要なのは、農奴は頑張って余剰に生産した分だけ、生産物を自分の自由にできる状況が生まれたということです。

この状況によって、ヨーロッパ各地の農業生産は三圃制などの農業技術の革新とともに飛躍的に高まりました。

さて、農村で余った生産物はそれを交換する手工業者に渡り、そのうち、ものを交換する商人という職業が現れます。

この商人の登場によって、物々交換から貨幣(お金)を交換の対象にする貨幣経済が始まりました。

この時から農奴が納める地代も、生産地代から貨幣地代へと変わっていきます。

戦乱とペストの流行

聖都エルサレムをイスラム勢力から奪還するために、1096年から1270年まで続いた十字軍、イギリス、フランス間の百年戦争など、中世ヨーロッパでは相次いで戦乱が起きました。

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(百年戦争:クレシーの戦い)

その結果、領主だった多くの諸侯や騎士たちが戦死し、領主のいなくなった荘園は国王が没収し、次第に力をつけるようになりました。

1346年から1350年には、ヨーロッパ各地でペスト(黒死病)が大流行します。

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(ペストの大流行)

ペストは東方貿易を行なっていた商人たちが感染し、その後ヨーロッパの人口の3分の1が病死する事態となりました。

農民一揆

このように、相次ぐ戦乱とペストの大流行によって、人口が大幅に減少した結果、農業生産人口が激減し、農作物の価格が高騰しました。

その結果、貨幣地代へと変わっていた封建領主も貧しくなったため、自立しようとしていた農奴達を再び搾取しようとしました。これを封建反動といいます。

この封建反動の結果、各地で農民一揆が頻発します。

農民一揆は1358年に北フランスで起きたジャックリーの乱、1381年にイギリスで起きたワット=タイラーの乱が有名です。

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(ジャックリーの乱)

このように、貨幣経済の普及と商業の発達、領主層の没落がはじまり、封建制度は次第に崩壊していったのです。

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