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源氏物語 桐壺 その17 先帝の四宮(藤壺)入内
著作名: 春樹
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【源氏物語 原文】

月に添へて、御息所の御ことを思し忘るる折なし。「慰むや」と、さるべき人びと参らせたまへど、

「なずらひに思さるるだにいとかたき世かな」と、

疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、主上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、

「亡せたまひにし御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になむ」と奏しけるに、

「まことにや」と、御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。
 

母后、「あな恐ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。
 
心細きさまにておはしますに、「ただ、わが女皇女たちの同じ列に思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。
さぶらふ人びと、御後見たち、御兄の兵部卿の親王など、「かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべく」など思しなりて、参らせたてまつりたまへり。
 

藤壺と聞こゆ。げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは、人の許しきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思し紛るとはなけれど、おのづから御心移ろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
【現代語訳】

年月がたっても帝は桐壺の更衣のことをお忘れになることができずにいました。少しでも忘れることができるだろうかと思って、美しいと評判の女性を近くによばれることもありましたが、結局、桐壺の更衣のような方はいないと言って嘆かれるばかりでした。
 

ある時、帝の側で仕えていた典侍が「先代の帝の四の宮なのですが、美しいと評判で母君のお后がとても大切に育てていらっしゃる方がいます。」と申し上げました。この典侍は先代の帝にも仕えており、その四の宮のことを幼少のころから知っており、今でもお目に掛かる機会があるということで申し上げたのでした。

この典侍によれば、「亡くなられた更衣に似た方を、3代にわたって帝に仕えている私は見たことがありませんでしたが、その御方は桐壺の更衣に大変よく似ていらっしゃいます。非常に美しい方です」とのことでした。

そのようなことであればと、帝は先帝の后へ四の宮の入内を要請されました。母后(四の宮の母)は「なんと恐ろしいことを。東宮の母君がたいそう意地が悪くて、桐壺の更衣が露骨ないじめ方をされた例もあるのに」と思い、入内させるのを迷っておりましたが、そうしているうちに亡くなってしまいました。

四の宮が一人でくらしているのをお聞きになった帝は「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」となおも入内を熱心にお勧めになりました。四の宮の兄や側で支える女房たちも、「母后のことばかりを思って心細くなっているよりは、宮中に入って暮らしている方が心も安らぐだろう」と考え、四の宮を参内させました。この四の宮は藤壺と呼ばれていました。
 
この藤壺は典侍の話のとおり、容貌も身のおとりなしも、不思議と桐壺の更衣に似ていらっしゃいました。しかも桐壺の更衣とは違って身分にも非の打ち所がなく、誰も藤壺を貶めようとはしませんでした。

桐壺の更衣のことが癒されることはないのでしょうが、自然と昔は昔として忘れていくようになりました。このように情がうつっていくのも自然の流れなのでしょう。




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