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源氏物語 桐壺 その14 若宮参内
著作名: 春樹
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【源氏物語 原文】

月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。

明くる年の春、坊定まりたまふにも、いと引き越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危く思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど、限りこそありけれ」と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。

かの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。御子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。
【現代語訳】

数年後、若宮が宮中に参内されました。ますますこの世の者とは思えない美しさを備えられていたので、帝は不吉にすら思われたほどです。

翌年の春、東宮を決めるときにも、帝の中には若宮を東宮にという気持ちもあったのですが、これといった後見人もなく世論も認めてはくれないだろうと思い、かえって若宮を東宮にするのは危険だろうということで、その気持を誰にも相談せずに胸に秘めていらっしゃいました。それみて、「あれほど寵愛されていても東宮に選ぶことはできないのだな」と世間は言い、弘徽殿の女御も安心されました。

これをうけてでしょうか。北の方は落胆して、更衣のいる世界へはやく行きたいと言って願っていたせいか、亡くなってしまいました。帝はこれをみてまたうちひしがれていらっしゃいました。若宮も六歳であったので、今度は母の死に逢ったときとは違って、祖母の死を理解して泣かれていました。北の方は、若宮とお別れをしなければならないのが悲しいと何度も繰り返して口にしていました。


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